The 双璧!Part1 愛の告白 その2
明けましておめでとうございます。
とはいえ2022年明けて早々、コロナがまたも全世界的に拡がり始めて…。2月に予定されている北京での冬季オリンピックの開催も、正直な話…
このままでは先が見えない!
と、つい悲観的になってしまう今日この頃ですが…。
それはそれとして(前回の記事から時間が空いてしまいましたが《滝汗》)、今日が今年の「ブログはじめ」。また新たな気持ちでスタートしたいと思います。
まずは尻切れトンボのまま年を越してしまった『The 双璧!Part1 愛の告白 』の続きから《笑》
★★今更ですが「ネタバレ満載」!! ご注意ください★★
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「二義兄上、一緒に死んでください!」
(第50話 最終回「忘羨」9分47秒~)
もう端的過ぎて「illya的ショートカット」も何もありゃしない。
誰のセリフかって?もちろんこの方…
そう、孟瑶(モンヤオ)こと金光瑶(ジン・グァンヤオ)が、兄様こと藍曦臣(ラン・シーチェン)に対して、文字通り「命ギリギリ」の状況で口にしたのが、まさしくこのセリフである。
( ↓ 残念ながら第50話 「忘羨」9分47秒 のリアルタイム映像ではありませんが…)
黒目がちな大きな瞳に濃い影を落とす長い睫毛。彼はいつも控え目に微笑むのだが…。そのたびに口元に浮かぶ笑窪は、彼の持って生まれた美貌をより愛らしいものに見せる。その恵まれた容姿は、亡き母から譲り受けたもの。その類稀な記憶力と、一で十を知る聡明さは、まさしく天からの授かり物。
本来なら望むべき何者にでもなれたはずの彼。その彼に唯一与えられなかったもの。それは世間の誰からも指をさされる事の無い、「由緒正しき家柄」。
いや、父は確かに名門中の名門。大仙家蘭陵金氏の宗主に違いなかった。だが彼を生み育てた母は、娼妓であった。一時はその美しさと教養を讃えられていたとは言え、結局息子の父に見受けされる事も無く、短い生涯を苦界の底で終えたのだ。
「妓女の子のくせに」
その言葉は、生涯彼を苦しめ続けた。
それを口にした者の存在そのものを許さぬ程の憎しみ。恨み。その業火は、ついには彼自身を焼き尽くす。
憎しみと恨みに満ちた人生
なんて、どう考えたって辛い。あまりにも救いの無い生き方。
父から誠の愛情を一度たりとも受ける事無く、命ぜられるまま悪事を重ね、その父をも亡き者にした挙句、権力の頂にまで登りつめた彼。
何のためにそこまで?
こんな生き方、どこかで変える事はできなかったのか。いや、どこかでできたはずなのだ。まして人一倍聡明な彼ならば。だがそうならなかったのは、もはや運命と諦めるしか無いのだろうか。
そんな彼の目に、この方はどう映っていたのだろう…。
二義兄上。兄様こと、藍曦臣(ラン・シーチェン)。本編の主人公の一人、藍忘機(ランワンジー)の実の兄。生まれも育ちも良く温厚かつ誠実。まさに名家の御曹司にして一門の若き宗主。
そもそも孟瑶と曦臣の初めての出会いは、姑蘇藍氏で開かれた座学での事。清河聶氏の宗主の弟、聶懐桑(ニエ・ホワイサン)の付き人として、孟瑶も藍氏の住処である雲深不知処を訪れたのだ。
座学の師である藍啓仁(ラン・チーレン)への拝謁の際に、懐桑に代わって見事に口上を述べる孟瑶。曦臣含め参加者全員の注目を集める中、聞こえよがしに囁かれた彼の出自に関するスキャンダラスな噂話。(第4話「異端の仙師」7分57秒~)
窮地に立たされた彼に、手を差し伸べてくれた人。その人こそが、この藍曦臣であった。まるで何事も無かったかの様に、ごくごく自然な振る舞いで。彼へのさり気無い励ましの言葉も添えて。というか…むしろ控え目ながらも才気あふれる孟瑶に対する、素直なリスペクトさえ感じさせながら。
❤これはヤラれるだろ…❤
いやいや《笑》孟瑶はどんなにか嬉しかった事だろう♪(第4話 8分26秒~)
この直後、ふたりは初めて互いに視線を重ねるのだが…。このほんの数秒の目の動きと、微かに触れている(と思われる)指先の動き。それらに見え隠れするそれぞれの心の動きとがもう絶妙。(同じく 8分36秒~)
さらに乱入してきた温氏の横暴な振る舞いを、声一つ荒げる事無く収めてみせる曦臣の手腕を目の当たりにして、孟瑶の瞳は一層輝きを増すのだ。
無事に送り届けた懐桑を残して、ひとり先に清河へと帰る前に…
『もう一度あの方に一目お会いしたい!』(←注:illya的妄想セリフ)
と、長い廊下でひとり待つ孟瑶。(同じく19分11秒~)
やがて現れた曦臣に、拝謁の際の助け舟への謝辞を述べ、恭しく拱手の礼の構えに入ると…。
「楽にせよ。同じ世代ではないか。」
思わず孟瑶の腕を取る曦臣。彼のその言葉に、孟瑶はもう嬉しさを隠し切れないといった笑顔を見せ…。
「では失礼を」
と最後の別れの言葉を告げながら、ゆっくりと曦臣から離れようとする。
その瞬間、あえて顔の表情は見せずに、むしろピンポイントでアップになる二人の手元の映像。(同じく 20分24秒~)
このほんの2秒足らずのカットに映し出された、曦臣の掌と指先のわずかな動き。これがもう何とも切なく、名残りを惜しむ様で。これって…
「あたしゃ、あなたにフォーリンラブ♥」
じゃなきゃ、何? みたいな《笑》
いや、少なくとも視聴者のひとりとして、そう感じずにいられないこの展開。この見せ方。もしかしてこれも、楊夏(ヤン・シア)さんの脚本の為せる業?
まったくもう…
これだから好きなのよ「ドラマ『陳情令』」!
「謝謝! 楊夏 小姐!!」だわ っ♪♪《笑》
たとえこの時点で、色恋沙汰には全くもって疎い曦臣本人に、その自覚が無いのだとしても…。(←ココがまた別の意味で重要だったりする《笑》)
たった今これを書きながら、ふと思った事。
この座学での出会いと別れの後、もしもふたりがこの物語とは全く違う人生を歩んで、それぞれの人生が二度と交わる事無く終わるとしたら…。
「それでも孟瑶は、この日の曦臣の姿を何度も思い返すんだろうな。」
悲しい事があるにつけ、嬉しい事があるにつけ。そしておそらくは、人生最後の瞬間ですら。
それは癒し。赦し。願い。希望。理想。憧れ。誇り…。
いつの時も彼の心の奥底を照らす、清かなる月の光。
しょせんはただの想像だから、思ってみたところで詮無い事なのだが…。
父親は名門仙家の宗主
その点では違いなど無いはずなのに。現実ではあまりにも違いすぎた孟瑶と曦臣のその後の境遇と人生の歩み方。このコントラストも見事というか…とにかく強烈である。それにしても改めて思い知らされた気がする。このコントラストってヤツが、イヤって程ドラマを生み出すんだなぁ《笑》
「一緒に死んでください!」
曦臣が突き立てた剣を、自らの手でさらに深く己の身に沈めながら…。
命の瀬戸際に光瑶が口にしたその言葉は、多分ずっと胸の奥にしまっていた彼だけの真実。
やはりここでも「愛している」なんて一言も口にしていないけれど、コチラも「愛の告白」でないとしたら、一体何だと言うのか。
「死ぬならお前の手にかかって死にたい!」(←注:illya的ショートカット)
例の魏嬰のあのセリフ同様、こんな強烈な愛の告白はそうあるもんじゃない。いや、あえて言うなら、こちらの方がより端的かつ「ど真ん中直球ストレート」である。
さらにご本人の「命の瀬戸際」具合も、こちらのシーンの方が断然シリアスだ。
「死ぬなら貴方の手にかかって死にたい!」
孟瑶は確かにこの時、曦臣にこうは言っていない。しかし結果的には、「一緒に死んでください!」と言えるほど愛していた人の手で、その恨みに満ちた人生の幕を下ろす。いや、ここはむしろ…
「下ろす事ができたのだ」
と、書いてはいけないだろうか。
誰の目にも明らかな致命傷を負っている彼に、遅かれ早かれ誰かがとどめを刺す瞬間が来るのだとしたら。それが誰である事を、孟瑶は望んだだろう。その答えは、この世にたったひとつしかあり得ない気がする。
そんな命がけの孟瑶の問いに、心乱れる曦臣。もしかしたらとどめの一撃になるかと力一杯開いていた掌を、思わず握り込む。さらには覚悟を決めたかの様に、両目さえ瞑ってしまう。そんな彼を見て確信を得たかの様に、ほんの一瞬微笑みを浮かべると、次の瞬間曦臣を思い切り突き放す孟瑶。(第50話 最終回「忘羨」9分26秒~)
それがたとえ愛情ではなく同情であったとしても、おそらく孟瑶には充分だったのだと…少なくともわたしはそう思いたい。だからこそ、最後は彼を己の不幸の道連れにするのではなく、この先も長く続いて行くであろう、彼自身の未来を生きる事を望んだのだ。
そして彼は、見事にそれをやってのけた。だから少なくともその瞬間、彼は決して不幸ではなかったと思う。むしろある意味満たされていたのでは…とさえ思うのだ。
このブログの第1回目の記事。「楊夏(ヤン・シア)さんへのラブレター」(2021年11月27日掲載)でも触れたが…。孟瑶こと金光瑶が息絶えた後。時間にすればほんの僅かだが、幼き日の彼と娼妓であった生前の母の姿が映るシーンがある。(第50話「忘羨」16分53秒~)
わたしにはそれがドラマ『陳情令』の脚本家である、楊夏(ヤン・シア)さんの金光瑶へのレクイエムに思えてならないのだが…。もうひとつ「もしかしたら…」と思い当たる別のシチュエーションがあるのだ。それはつまり…
孟瑶がこの世の最後に見た夢そのものを、シーンとして見せた。
のかもしれない…という事。
もちろん見ようによっては。特にそこに至るまでの悲劇の道のりを、重ね合わせて見れば見るほど。このシーンはただただ哀れで、観る者の涙を誘うのかもしれない。だが逆に、このシーンだけをごく素直に見れば、それはまさに「ささやかだけれど確かに幸せな時間を共に過ごした」母と子の姿でもあるのだ。
だとすれば…。そんな夢を見ながら、彼が逝ったのなら。少なくとも温かな思いに包まれたまま、旅立てたのでは…と思うのだ。
「阿瑶、君子は身なりを正すのですよ。」
母がその手で埃を払い、そう言いながら被らせてくれた帽子。金光瑶にとってはまさに権力と地位の象徴であっただろうこの帽子だが…。同時に阿瑶にとってのそれは、掛け値無しで自分を愛してくれた母の思い出そのものでもあった事だろう。
殺戮も喧噪も全て過ぎ去った観音廟で…。すでに故人となった金光瑶の帽子を見つけて拾い上げ、その埃を払ったのは聶懐桑であった。そして帽子に染みついていた阿瑶の血が、懐桑の指先を染める。(第50話 17分27秒~)
(↓ リアルタイムの画像がほしい…が、見つからなかった《涙》)
そう、気が遠くなりそうな程、長い年月をかけた壮大な復讐劇。練りに練ったそれを成し遂げつつも、決して己の手を血に染める事など無かった彼の指先を…である。そのワンカットが暗示するものは果たして…??
全50話。まだ一周しかしていないけれど。illya的には「恋慕の情」というヤツが、このドラマ「陳情令」のキーワードだと思っている。それだけに彼がこのまま無事で済むとは、到底思えなかったりもするのである《汗》
もしいつか、それが物語られる時が来るのなら…。是非この目で観てみたい!!
♪♪ もちろんその時はまた、楊夏さんの脚本で ♪♪