大好き!「陳情令」

もう見たまんま❗タイトルどおりの内容です《笑》

楊夏(ヤン・シア)さんへのラブレター

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    深夜に一話分だけ、民放で放映された中国ドラマ「陳情令」。ジャンルは「中国ファンタジー時代劇」らしい。

    その日たまたまそれを目にする事ができたのは、今にして思えばある種の奇跡だったのかもしれない。まずは流れてきたオープニングテーマに、一気に心を奪われた。彼方から微かに聞こえてくる笛の音。そこにオーケストラの響きが重なると、一気に調べに厚みが増す。やがてそのオーケストラがふっと鳴りを潜めると、入れ替わる様に奏でられる琴の音の美しさといったら。まんまとこの音楽そのものに。さらにはその音楽が作り出す作品世界に惹きつけられて…。TV画面に向けられたわたしの目線は、一度定まるともう動かす事が出来なくなっていた。


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 このオープニングの映像だけで、わたしにはもう充分だった。スタッフやキャストの名が浮かぶ画面の合間合間に、映し出されるドラマの一場面と思われる映像の数々。登場人物の姿形はもちろんの事、その所作から、殺陣を含めたアクションから。もちろんこの作品世界ならではの時代衣装から美術から。そのどれ一つとっても、何もかもが惚れ惚れするほど美しい。そのうえ中国大陸の地の利を生かした、山峡や湖水地帯のロケーションの美しさ。そしてそのスケールの雄大さときたら、もはや文句のつけようなど無いのであった。

 とにかく続きが観たい一心で、地元のネカフェに通い詰め、数日かけてどうにか全五十話完走。あれからすでに何日もたったというのに、いまだその余韻は冷めやらない。

 

 そのブログを見つけたのは、ドラマの余韻を引きずりながら、ネットで「陳情令」関連の検索に勤しんでいた時の事だった。ブログのタイトルは『曦瑶』(シーヤオ)。この二文字が何を意味するか、「陳情令」ファンならば分からない人はいない。「曦」は藍曦臣(ラン・シーチェン)の曦。「瑶」は金光瑶(ジングァンヤオ)の瑶である。

 

    『曦瑶』 https://xiyao.hatenablog.com

 

 藍曦臣は本編の主人公の一人、藍忘機(ランワンジー)の実の兄。生まれも育ちも良く温厚かつ誠実。まさに名家の御曹司にして一門の若き宗主だ。対する金光瑶は父親こそ名門金家の宗主だが、母は娼妓。父から誠の愛情を一度たりとも受ける事無く、命ぜられるまま悪事を重ね、その父をも亡き者にした挙句、権力の頂にまで登りつめる。

 ここはあえてネタバレ話に触れるが、ラスト近くのクライマックスシーンで、光瑶は曦臣の手にかかり、その恨みに満ちた生涯の幕を閉じる。そんな因縁深い二人の、原作小説でもドラマ本編でも明からさまには描かれていない愛憎について。深く深く掘り下げ、書き綴っていく『曦瑶』。

 いくつかの記事を読んだだけで、文章の端々からにじみ出てくる書き手の人となりが伝わってくる。知的で柔らかな文章。多分まだ若い女性と思しきこのブログの主は、間違い無く教養のある方なのだろう。ドラマの中のシーンやセリフや役者の仕草のひとつまで、いちいち細かく掘り下げられるその洞察力には、とにかく驚かされる。さらにはその深くて濃い中身を、もれなく読み手に手渡せる文章力も確かだ。しかし、わたしが何より心を動かされたのは、彼女の文章からひしひしと伝わってくる、曦臣と光瑶へのあふれんばかりの愛情なのであった。

 とりわけ金光瑶に対する彼女の愛着は強い。このドラマの中ではむしろダークサイドに位置する彼こそ、このブログ『曦瑶』の女主が、「陳情令」で最も心惹かれた登場人物なのである。ネタばれ話で少しだけ触れた例のクライマックスシーン。曦臣が突き立てた剣を、自らの手でさらに深く己の身に沈めながら…。
    

    「一緒に死んでください」


 命の瀬戸際に光瑶が口にしたその言葉は、多分ずっと胸の奥にしまっていた彼だけの真実。それはつまり…。

 

  「私の罪の全てを知っても、あなたは私を受け入れて下さいますか。」
  「私には、あなたが必要なのです。あなたを愛しています。」と。
 叶えられない望みと知りつつ、阿瑶は、最後に縋ってみたかったのだと思います。
 曦臣は、驚きつつも、ゆっくり目をつむり受け入れた。
 宗主の地位も責務も全て打ち捨てようとした。
  ( ブログ『曦瑶』 「藍曦臣は何故死のうとしたのか」 より抜粋 )

 

 ドラマを観ていた時点では、そこまでの二人の気持ちには、到底思い至れなかった。生身の俳優陣の迫真の演技をもってしても、このシーンでわたしの頬が涙で濡れる事無く終わったのは、ひとえにわたし自身がボンクラだったからに他ならない。だがこのブログの一文を目にした今となっては、そのシーンを映像で見直すまでもない。思い起こすだけで次から次へと涙は零れ落ちるのだ。

 

   「彼女のこの感性、いいなぁ…。しかもこんな風に書けるなんて。」


 『曦瑶』の女主に対する大きな羨望とリスペクト。それと同じくらいわたしの中で大きく膨らみ始めたのは、ただ「書きたい」という思いだった。今だからこそ、大好きな「陳情令」について。その物語の中の数々の、愛すべき登場人物達について。彼等一人一人の中にある「恋慕の情」について。

 還暦過ぎての「人生初ブログ」。ブログのタイトルは、ズバリ『大好き!「陳情令」』。とりあえず某ブログ投稿サイトへの登録は完了した。次はいよいよ、記念すべき最初の記事は何を書くかだが。わたしはある人へのラブレターという形で、最初の記事を書こうと思う。


 ある人とは、ドラマ「陳情令」の若き女性脚本家、楊夏(ヤン・シア)さんだ。原作小説も読み終えた今、あらためて自分は断然ドラマ派だと自覚した。生きた役者が魂を入れるのだから当然かもしれないが、登場人物ひとりひとりに感じる温かさと人間らしさは、小説とはもはや比べ様も無い。いや、それ以前に…。脚本の中で彼らが生かされているからこそ、あの素晴らしい俳優陣がそれを体現してくれたのだと思うのだ。全五十話。通しで観たのはまだ一度切りだけれど。間違い無く登場人物ひとりひとりに注がれている脚本家の並々ならぬ愛情を、作品の随所でわたしは感じたのである。

  

  「君子は身なりを正すのですよ。阿瑶。帽子はきちんとかぶって。」


 若い母親はそう言って手の中の帽子を優しく我が子の頭に被せる。頷くその子がほほ笑むと、口元には小さなえくぼが。その笑顔の何と愛くるしい事だろう!

 かのクライマックスシーンで金光瑶が息絶えた後。時間にすればほんの僅かだが、差し込まれたそのカットは、幼き日の彼と娼妓であった生前の母の姿。やがて二人の後姿は、町の雑踏に溶け入る様に消え失せる。

 それは楊夏(ヤン・シア)さんの、金光瑶へのささやかなレクイエムか。脚本家としての彼女の、登場人物に対する深い愛情を感じさせる数あるシーンの中でも、大好きなシーンのひとつである。(最終回第50話「忘」16分53秒~)

 

 

   謝謝 楊夏 小姐 素敵な脚本を、ドラマ「陳情令」をありがとう!


 そう、わたしの人生初ブログは、「楊夏さんへのラブレター」で始まるのだ。